行乞人

良心の研磨

サンクチアリー人は深刻な思い込みの中にある

サンクチアリーに正当性は全く存在しない、

もし仮に、そうであるなら、真のお父様の

権威など、必要とはしない。我々は知って

いる。いつ何処で、誰と誰が、何をどうし

たのかと言うことを。

かつて、二人の兄弟を母は心配して二人を

立てた。しかし、今は、その母を黙示録を

用いて、バビロンの淫婦とまで言及し口

汚なく呪いの言葉を使う。だが一番の問題

は、二人の兄弟ではない。何故か、彼らも

真の家庭の構成員だからである。

それに従う者たちの運命に責任を持つ方は

いない。真のお父様は、サンクチアリには

いない。何故ならば、真の家庭を毀損した

からである。真のお父様はお二人の兄弟に

ついて、わたしと言う父を持って、彼らに

何の罪があるだろうと、語っておられる

からである。(何の罪があるだろう)とは

どのような意味があるのか、罪を犯すこと

が前提とした言葉である。必ずお二人は

追い詰められるだろう。